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ファイルマガジン『DVDコレクション日本の城』第18号は、第17号に引き続き「真田丸」です。
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上の記事は、大阪冬の陣の概要と豊臣、徳川、各部隊の布陣図です。まさに、徳川軍は大阪城をアリの這い出る隙間もないほど囲んでいるのがわかりますよね。真田信繁は自ら作り上げた要塞「真田丸」に布陣していたことがわかります。
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そして、これは大阪夏の陣の概要の記事と豊臣、徳川両軍の布陣図です。夏の陣では信繁は真田丸の遥か前方に陣を布き、隙あらば、家康本陣にいつでも斬り込める構えを取ってます。
土佐の長曽我部盛親は大阪城本丸に陣を布き、秀頼と淀君を直接守るような所にいます。
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上の2枚の写真は『大阪夏の陣図屏風』なんですが、見るとわかるように、大阪城は現在のような白天守ではなく、黒天守として描かれてます。そうなんです!これこそが本来の豊臣の大阪城天守の姿なんです。ところで、真田信繁の本来の名前でない幸村の名前はいつごろから出てきたかと言うと、このファイルマガジンによると、寛文12年ごろの軍記物「難波戦記」で信繁が幸村の名前で大活躍するのが書かれているそうです。この戦記物は当時の武士たちの間でベストセラーになったということです。日本人はいわゆる「判官びいき」で、「難波戦記」に書かれている幸村の弱者が強者に立ち向かっていく姿が人気を呼び、本来の名前でない幸村の名前が定着してしまったということです。

日本人の「判官びいき」、野球ファンでも、巨人以外ならいい!とにかく巨人が嫌いと言う「アンチ巨人」を自称するファンの人たちがいますが、これも、「判官びいき」の一つと言ってもいいでしょうね(笑)

以上、ファイルマガジン『DVDコレクション日本の城』でした。


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