ファイルマガジン

ファイルマガジン『DVDコレクション日本の城』第18号は、第17号に引き続き「真田丸」です。
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上の記事は、大阪冬の陣の概要と豊臣、徳川、各部隊の布陣図です。まさに、徳川軍は大阪城をアリの這い出る隙間もないほど囲んでいるのがわかりますよね。真田信繁は自ら作り上げた要塞「真田丸」に布陣していたことがわかります。
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そして、これは大阪夏の陣の概要の記事と豊臣、徳川両軍の布陣図です。夏の陣では信繁は真田丸の遥か前方に陣を布き、隙あらば、家康本陣にいつでも斬り込める構えを取ってます。
土佐の長曽我部盛親は大阪城本丸に陣を布き、秀頼と淀君を直接守るような所にいます。
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上の2枚の写真は『大阪夏の陣図屏風』なんですが、見るとわかるように、大阪城は現在のような白天守ではなく、黒天守として描かれてます。そうなんです!これこそが本来の豊臣の大阪城天守の姿なんです。ところで、真田信繁の本来の名前でない幸村の名前はいつごろから出てきたかと言うと、このファイルマガジンによると、寛文12年ごろの軍記物「難波戦記」で信繁が幸村の名前で大活躍するのが書かれているそうです。この戦記物は当時の武士たちの間でベストセラーになったということです。日本人はいわゆる「判官びいき」で、「難波戦記」に書かれている幸村の弱者が強者に立ち向かっていく姿が人気を呼び、本来の名前でない幸村の名前が定着してしまったということです。

日本人の「判官びいき」、野球ファンでも、巨人以外ならいい!とにかく巨人が嫌いと言う「アンチ巨人」を自称するファンの人たちがいますが、これも、「判官びいき」の一つと言ってもいいでしょうね(笑)

以上、ファイルマガジン『DVDコレクション日本の城』でした。


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この記事へのコメント

2020年11月12日 19:08
坂の上の蜘蛛さん、こんばんは。
姫路の者としては、地元の勇士である後藤基次(又兵衛)が気になりますが、名前無いな、、、。
たしか濃霧によって増援が得られぬまま、伊達配下・片倉勢相手に孤軍奮闘の後に討死したんですよね。
大河ドラマ「真田丸」では哀川翔さんが演じてらっしゃいましたね。「摩利支天の再来」と呼ばれるほどの猛将だった基次にピッタリの配役でしたね。
2020年11月12日 20:09
とある星人さん、コメント&気持玉ありがとうございます。
後藤又兵衛、元は黒田官兵衛の家来でしたね。又兵衛の黒田家出奔の理由は諸説あるようですが、官兵衛の跡を継いだ黒田長政との折り合いが悪かったとか?

このファイルマガジンは『真田丸』の特集なので、真田信繁の記事が主体ですが、後藤又兵衛のことも記事になってますよ。大阪夏の陣で敵将だった細川忠興は大阪城落城3日後に国元への手紙の中に「真田信繁、後藤又兵衛の手柄は共に古今なき次第である」と書き送ってるそうです。
2020年11月12日 20:49
へぇ~、当時の大阪城は今のモノとずいぶんとイメージが違うお城だったんですね。
2020年11月12日 21:24
nas-nasさん、コメントありがとうございます。豊臣時代の大阪城は黒天守だったそうです。豊臣時代は、姫路城や会津若松城も黒天守だったと言われてます。
今ある城(現存、復元も含めて)でも、豊臣系の黒天守の城がありますよね。
夜桜お八
2020年11月12日 21:42
坂の上の蜘蛛さま
 大坂の陣とりわけ夏の陣は、家康にとって「関ヶ原の敗者=反徳川分子=社会不安要因」を殲滅する戦い。しかし徳川方の武将にとっては、なるべくやりたくない戦争だった。「せっかく徳川の天下が定まったのにまた戦かよ」と。数を頼んで大坂城に押し寄せましたが、だらしのない戦いぶりでした。家康の本陣まで脅かされるなど、徳川の旗本までだらけていた。

 徳川方は戦争を知らない息子世代が古老の後見で辛うじて部隊を指揮していた。そんな連中など、実戦経験豊富なベテラン後藤・真田にとって「猫がネズミをなぶる」「赤子の手をひねる」ようなもの。散々な敗戦ぶりでしたけれど、徳川方は全国の大名を動員した大軍。大坂方は最後は津波に呑まれて壊滅してしまった。

 本当に、あの大阪城天守は黒塗りに変更すべきです。黒壁に金箔を押してこそ豊太閤の城。
2020年11月12日 22:58
夜桜お八さん、コメントありがとうございます。経験不足や戦争を知らない2代目世代だろうが、家康が全国の大名を動員できたのは、秀頼が本当に太閤の子かどうか怪しい子供だったことが大きい要因だったんでしょうね。

大阪城、なんであんな徳川の白天守に復元しちゃったのかな?「太閤さんの城」と言うなら黒天守にするべきですよね。
2020年11月12日 23:00
華の熟年さん、気持玉ありがとうございます。
夜桜お八
2020年11月13日 11:57
坂の上の蜘蛛さま
 関西の人にとって秀吉は英雄ですから。反徳川、家康嫌いも多い(笑)。今もあるかどうか知りませんが、大阪には『家康をののしる会』なんていうのがあったようです。

 大坂城、まして天守を復元するなら秀吉の天守。当然の庶民感情ですが、それなら黒壁・金箔であるべき。陸軍(第四師団 城内に駐屯)が天守の色について文句を言った形跡はないですし。

 以下、最近聞いた話です。安土城天守復元構想が白紙に。あまりにも史料が乏しく復元できない。変なものを建てたら世間から猛バッシングされますからね。安土町の資料館に復元模型まで展示されている内藤昌案(吹き抜け・能舞台のある天守)は、現代の建築家である内藤先生の「空想の産物」で、現在では城の専門家が否定しています。
 城跡をあのまま放っておくのが一番。
  


 
2020年11月13日 13:32
夜桜お八さんへ、たしかに、大阪の人が大阪城を「太閤さんの城」と言ってるのを聞いたことがあります。
私も家康が好きか、嫌いかと二者択一を迫られたら嫌いを選択しますよ(笑)だって、家康は長曽我部には苛烈でしたからね。毛利も島津も減封されながらも家が残りましたが、長曽我部は滅亡ですから。
高知県民も山内か、長曽我部かと二者択一でアンケートすれば、圧倒的に長曽我部が多いと思います。

もちろん、高知城は素晴らしい城ですし、その高知城の前の『高知城博物館』にある山内家の宝物も一級の史料だと思います。
これらを売却せずに済んだのは、三菱のおかげです。小田原城は老中の城でありながら、幕末には財政難で、廃城令を待たずに新政府に廃城を申し入れたと聞いてますから。
夜桜お八
2020年11月13日 17:10
坂の上の蜘蛛さま
 昔、京都の豊国神社に参拝して宝物館を見ましたが、太閤の歯が一本保存されています。宮司さんが親切な方で、豊国廟への行き方から神社の由緒までいろいろ教えて下さいました。隣にあるのが方広寺で、例の「国家安康の鐘」が今もあります。

 京都の夏は暑いなんてものじゃないですが、頑張って豊国廟の石段を登りに登り、秀吉の墓所へ行きました。明治三十年代、旧豊臣恩顧の大名家が集まり三百回忌法要を行った時、墓所を発掘したそうです。大きな甕に収められた遺体は、京都御所の方を向いて埋められていた。

 秀吉が足を運んだ最東端が、小田原です・
 
 
 
2020年11月13日 19:15
夜桜お八さんへ、豊国神社ですか!秀吉も神として祀られているんですね。

「国家安康の鐘」、家康が「わしの名前を割って、わしを呪っている」とイチャモンをつけて、豊臣との戦を始める口実にしたと言われる鐘ですね。

実際、豊臣にそんな意図はあったんでしょうか?

2020年11月13日 23:16
坂の上の蜘蛛さん、こんばんは。
自分は、秀長が死んでからの秀吉は暴走しちゃって好きではないですね。
夜桜お八
2020年11月13日 23:20
坂の上の蜘蛛さま
 豊臣家に有能な外交ブレーンがいれば、鐘の銘文(鐘銘)に家康の諱(いみな)を入れるような初歩的なヘマはしなかった筈です。諱は「忌み名」という意味であり、当時の常識では、他人様の名(特に身分の高い人の名)を直接呼んだり書いたりすることは失礼極まりない行為でもありました。

 豊臣方が悪意を以てそうしたかどうか、判断は人によって分かれるでしょう。私個人は過失、つまり悪意はなかったと思っています。
 
 しかし、諱を使うことだけでも非礼なのに、家康の名(諱)を真っ二つですからね(笑)。弁解はかなり難しいですね。
 
 もちろん言いがかり(イチャモン)なのですが、わざわざ家康にイチャモンのネタを与えたようなもの。いずれにせよ、鐘銘事件が無くても別の口実をでっち上げ、豊臣方に戦争を仕掛けたとは思いますが。

 方広寺自体は火災で焼けており、昔のものは「国家安康の鐘」だけです。
2020年11月14日 07:41
日々散財さん、コメントありがとうございます。そうですね。晩年の、とくに秀頼が誕生してからの秀吉は甥の秀次一族を惨殺したり、秀秋を養子に出したり、無計画としか思えない唐入りを実行したり、信長に仕えていたころのアイディアマンの藤吉郎とは違いますよね。
2020年11月14日 07:45
夜桜お八さんへ、じゃあ!その諱を死後に勝手に変えられ、それを広められた信繁は、かなり失礼なことをされてますよね(笑)
夜桜お八
2020年11月14日 11:15
 明日から有給の一部を消化して沖縄へ行きます。戦跡と慰霊碑参拝。那覇・糸満・南風原(はえばる)をレンタカーで移動。狭いところですから走行距離は知れたものですが、逆に言えばこんな狭い場所に「鉄の暴風」が吹き荒れた。沖縄の不発弾処理にはあと半世紀かかります。

 再来週はいよいよデスクの整理。残った有給消化期間がありますので、最終出社日は12月8日。何と真珠湾の日。私の人生にとっても意味ある日になります。

 昭和のサラリーマンは定年退職で会社を去るとき涙を流し、寂しさを感じたと聞きますが、私はそんな気持ちとは真逆。色々な経験をさせてくれたことには素直に感謝しますが、反面、いいようにこき使われたことへの反発、それに従うほかなかった自分への怒りもあります。
 世代の違いなのか、それとも私が冷淡過ぎるのか。

 会社に守って貰える人生(安心)をとれば、自由はある程度犠牲にせざるを得ない。
 その辺のバランスが取るのが大人の生き方。

 自由業(俳優・声優はその典型)を選べば、安心は全く得られない。だから声優だけは止めておけ、と若い人に説いているのはベテラン声優・大塚明夫氏。サラリーマンを卒業しようとしている私にとって、人生を知り尽くした大人の金言・至言。
 感服するしかない。 

 コロナ禍が一段落したら、プライベートで外国旅行もいいです。いちばん安い部屋で船旅しようかな。

 
2020年11月14日 12:41
夜桜お八さんへ、けっして冷淡などではないと思いますよ。
私もたぶん退職の時はせいせいすると思いますから。寂しくなるほどの報酬でもないですしね。会社にいる奴らも会社での付き合いだけ。関東旅行しても、お土産を買って来てやろうとも思いませんでした。

退職したら、現存12天守と4海軍鎮守府を改めて巡ってみたいですね。


こういうのが、明日(日曜日)に配信されるそうです。おヒマなら見られてはいかがでしょうか?

https://girls-und-panzer-finale.jp/event/special-number20201115/
2020年11月14日 15:09
坂の上の蜘蛛さん、こんにちは。
秀吉といえば、羽柴秀吉とかいう実業家?が居ましたけど、もう亡くなったのかな?メディアに出て来た時は「おまん、誰やねん!」って感じでしたけど(笑)。
夜桜お八
2020年11月14日 17:05
坂の上の蜘蛛さま
 私も会社の人間関係が苦手です(笑)。何で仕事の後まで会社の人間と不味い酒なんか飲まなきゃいけないのか。ずっと疑問でした。昭和のサラリーマンはこんなワケの分からん風習に付き合いながら生活していたのかと。

 今は会社と個人の関係も変わり、会社に対し醒めた目、淡白な態度で接する人が増えました。若い世代の大多数は飲みに誘っても全然ついて来ない。私はそれが当然と思いますけれども。

 ちなみに私が辞めるので送別会という話は出たのですが、コロナ禍ゆえ中止に。もちろん私からも「迷惑だから止めてくれ」(本当にそう言いました)と断固拒否。飲み会なんか大っ嫌い。誰が高いカネ払って行くもんか。私をダシにして酒好きが酒盛りを開きたいだけのこと。アホ臭くてやってられない。
 社畜との付き合いは真っ平ご免だ。

 しかしまあ、こんな私がよくサラリーマンを務めてきましたよ。押さえていたものがドッと吹きだす感じ。もし来世があるとしたらサラリーマンにだけはなりません、絶対に。

 舞鶴は不便な場所ですが、ここの海軍記念館は是非見学して下さい。東郷邸も残っています。
 (聯合艦隊司令長官になる前、東郷平八郎は舞鶴鎮守府司令長官。)
 
 

 

 
2020年11月14日 23:27
とある星人さんへ、いましたね。そんなオッサン。
自称「豊臣秀吉の生まれ変わり」と称して、選挙に出まくってましたね。
2020年11月14日 23:33
> 私も会社の人間関係が苦手です(笑)。何で仕事の後まで会社の人間と不味い酒なんか飲まなきゃいけないのか。

夜桜お八さんへ、まったく同感です。わかりまくりです。
酒を飲むのは好きですが、それは家飲みでの話し、飲み会は大嫌いです。とくに、会社の飲み会は苦痛以外の何物でもない!
だいたい田舎は深夜の交通の便が悪すぎる、帰るのが大変なんですよ。
そういう意味でも、外飲みは大嫌いなんです。
夜桜お八
2020年11月15日 10:14
坂の上の蜘蛛さま
 よかった。私一人じゃなかった(笑)。企業社会では「飲み会嫌い=変人・付き合いの悪い奴」という変な決めつけが横行してきましたし、今でもその悪影響は残っている。

 話題は変わります。
 商社時代、会社が付き合っていた監査法人が「有限責任監査法人トーマツ」という指折りの大手監査法人でした。
 ここでピンと来た。今まで気づかなかったのが迂闊過ぎ。
 
 「晴風」主計科の等松美海(ミミちゃん)の名前は、実はここからきていたのだと。確証はないですがほぼ間違いないと思います。監査法人トーマツの創業者は、等松農夫蔵(とうまつ・のぶぞう)海軍主計少将。日本企業に会計監査(audit)を根付かせ普及させた大功労者。

 なるほど、と思いましたよ。

 そう気づくと、航海科のJKたち(勝田、山下、内田)も、全部、大正時代の船成金と言われた大実業家・政治家の名でした。勝田銀次郎、山下亀三郎、内田信也。

 今から沖縄へ行ってきます。木曜日帰還します。
2020年11月15日 11:01
夜桜お八さんへ、私も送別会などはまっぴらごめんです。
何度も言いますが、田舎は本当に深夜に帰るのが大変なんですよ。
そんな面倒くさいことをしてまで、外飲みする必要はない。

『ハイフリ』の晴風の主計長、等松美海ちゃん、等松なんて珍しい名字をキャラクターに付けたものだと思っていましたが、やっぱり、海軍にちなんだ名前だったんですね。

沖縄への慰霊の旅、感心します。どうか、私の分もよろしくお願いします。
また、リポートのコメントを待ってます。