ファイルマガジン

ファイルマガジン『日本の城DVDコレクション』第13号は「会津若松城」です。
FBF63438-173A-4EFE-9838-2385FD4E7CD1.jpeg

7220C77E-DB63-410B-99BD-AFDD6BE2A479.jpeg
会津若松城」は蒲生氏郷、加藤嘉明という信長、秀吉に仕えた歴戦の武将が築き上げた難攻不落の城です。
4B103CAF-4BBB-4DE9-A354-2DA7B3065CC7.jpeg
ちなみに、これは蒲生氏郷が築いた豊臣時代の会津若松城の復元想像図です。徳川の白天守ではなく、豊臣の黒天守だったと考えられてます。
この会津若松城も見てみたいですよね。
84686096-B5F4-4413-B65C-F65F0696B42A.jpeg

DB1BC608-6DD8-4B50-8BD5-E5EAC98D2F4B.jpeg
加藤嘉明の息子、明成が失政があったとして幕府から改易されると、代って、三代将軍徳川家光の弟の保科正之が会津に入封して、幕末まで会津藩主は松平を名乗り、あの!会津戦争を戦うのです。
C2D148E2-9EF2-4977-9F26-94737BB1CD33.jpeg
江戸城を無血開城させ、会津の同盟藩である「奥羽越列藩同盟」の諸藩を次々と破った、薩長土の新政府軍はいよいよ会津若松城の城下まで迫ってきました。
しかし、蒲生氏郷、加藤嘉明という戦争のプロフェッショナルたちが築いた難攻不落の会津若松城に籠城し、会津の侍魂をもって戦う不屈の会津軍の前についに新政府軍は会津若松城への力攻めをあきらめ、撤退するのでした。
63727AC5-75F8-457A-9EF7-ACE8166488B7.jpeg

58AE8A4C-B0D6-453B-A405-08D1405A5EF4.jpeg
しかし、新政府軍は刀、槍、弓矢の古い戦法にこだわる会津軍の思いもよらない新戦法で会津若松城への攻撃を始めるのです。
それは、会津若松城から1,6km離れた小田山に最新鋭のアームストロング砲を引っ張り上げ、山頂に据付け、会津若松城を眼下に見下ろし、会津軍の攻撃が届かない所から砲弾の雨を降らせたのです。高所から敵を見下ろして攻撃するというのは、熊本城の記事の時に夜桜お八さんがコメント欄で教えて下さった「制高点」を取った戦いになるので、もう会津若松城は裸城(はだかじろ)同然となり、新政府軍の砲弾を数限りなく受けることになるのです。8日間で8000発という砲撃にも会津若松城の天守は崩れることはなかったのですが、天守は頑丈でも籠城する人間はそうはいかない!
6FA3C192-B2FE-4123-BA5F-7FEB102E78F0.jpeg
ついに、会津藩主「松平容保」は新政府軍に降伏、城を明け渡し、ここに会津戦争は終結するのでした。
63841079-4701-4588-9CF6-9CDB063AE79A.jpeg

54A498F6-1C79-47B3-A5C9-CD5CEDDC3630.jpeg
これは、新政府軍の砲撃を受けた当時の会津若松城の写真だそうです。これだけの砲撃を受けても崩れなかった天守が今はないのが残念ですね。ちなみに、今の会津若松城は復元天守。いわゆる昭和城です。
次回は、戊辰戦争の悲劇を経験した。会津若松城白河小峰城二本松城です。楽しみです。
以上、ファイルマガジン『日本の城DVDコレクション』でした。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 6

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス ナイス

この記事へのコメント

2020年08月12日 23:18
昔の黒天守は高層ビルのようにそびえ立ってたんでしょうな。現存してたら迫力あったでしょうな。
2020年08月13日 06:26
nas-nasさん、コメントありがとうございます。
そうですね。蒲生氏郷の会津若松城は豊臣の黒天守で7層7階だったそうですから、徳川時代の会津若松城より高いですよね。
徳川の白天守は優雅できれいですが、豊臣の黒天守は重厚で迫力がありますね。
夜桜お八
2020年08月13日 06:47
坂の上の蜘蛛さま
 会津若松観光は、鶴ヶ城(会津若松城)、飯盛山(白虎隊士の墓)、藩校日新館、東山温泉が定番です。そこに喜多方(蔵の街並とラーメン)、猪苗代湖と翁島(野口英世生家)が加われば、会津の見所はほぼ網羅したことになります。
 脚力に自信のある方は「ヤマノススメ」で磐梯山へ。

 会津戦争を扱った日テレ系正月時代劇『白虎隊』をご存じですか。主題歌は堀内孝雄「愛しき日々」(神曲!)。
 
 実は、会津藩の歴史は帝国海軍と同じで極端に美化され歪められています。会津の領民は、会津藩が大嫌いで憎悪していた。なぜかというと会津藩の政治が凄まじい虐政だったからです。

 官軍(薩長土肥)が簡単に会津へ攻め込んで城を落せたのは、実は会津領民が「道案内」に近いことをした為らしいです。だから会津藩は恐ろしい報復をして、会津若松城は報復で虐殺された領民の遺体で埋め尽くされた。
 地元の人に聞いた話です。

 そのことを聞いてから、私の「会津熱」がすっかり冷めてしまった苦い思い出があります。

 ドラマ『白虎隊』で松平容保(京都守護職)を演じたのは風間杜夫、筆頭家老西郷頼母は里見浩太朗。その他オールスターキャスト。新選組の沖田総司を演じた俳優さん(名前を忘れてしまった)が、何とあの中川翔子さんのお父さんでした。

 
2020年08月13日 07:19
夜桜お八さん、コメントありがとうございます。
日テレ系正月時代劇『白虎隊』、憶えてますよ。前編後編6時間くらいの長編ドラマでしたよね。そうそう、中川翔子さんのお父さんがこのドラマで沖田総司を演じていたと聞いてます。新撰組は京都守護職(会津)の配下の組織だったんですよね。
あと、新政府軍の参謀板垣退助をあおい輝彦さんが演じてました。

ほぉ~これは興味深いです。つまり、会津戦争では藩は佐幕だったが、会津の民衆は新政府に寝返っていたということなんですかね?
海軍と言えば、終戦まで大艦巨砲主義にこだわっていたと言われてますが、会津も刀、槍にこだわって、装備の近代化が新政府軍より遅れていたと付録のDVDで聞きました。それと、会津の頑固さを象徴する言葉に「ならぬことはならぬ」と言うのがあるそうですね。夏目漱石の『坊ちゃん』でも山嵐が会津出身と知って、坊ちゃんが「なんだ会津っ子か!道理で石頭だ!」と返すセリフがありましたね。
喜多方ラーメン、高知でも何軒かお店がありますよ。会津は盆地の地形だと聞きました。

最後に、松平容保の書状は佐川町の『青山文庫』にも展示されてます。田中光顕伯爵は敵将の書状も収集してたんですね。
夜桜お八
2020年08月13日 10:24
坂の上の蜘蛛さま
 奥羽越列藩同盟の中で、欧米の最新兵器を装備していたのは越後長岡藩(牧野家)くらいでしょう。河井継之助という異色の家老。司馬遼太郎『峠』の主人公です。長岡市で記念館があるのは、河井と山本五十六の二人です。二人とも結果的に長岡を戦火に巻き込み、焼失させてしまったことで共通するのですが。

 日本の幕末は、ちょうどアメリカ南北戦争の時期と重なります。南北戦争の終戦(南軍降伏)によって大量の武器が余り、中古市場に溢れた。日本はその余った武器を売りつける絶好の市場となった。戊辰戦争で使われた銃砲にはアメリカ製が多く、銘板を調べると大概アメリカの工場名が刻んであるらしい。

 幕府も西洋式陸海軍を創設(主にフランスの援助 私の住む横須賀市など正にその産物)していますし、本気で薩長と戦おうと思えばかなりの戦力を発揮したのかな、と思うこともあります。

 いずれにせよ、徳川慶喜が政権を捨ててくれてよかった。新政府が彼を殺さず手厚く礼遇したのにはそういう理由もあった。(もっとも、幕府側は新政府が慶喜に危害を加えるつもりなら、フランスへ亡命させるつもりだったようです。)
2020年08月13日 14:07
夜桜お八さんへ、長岡藩家老「河井継之助」、第十八代中村勘三郎さん(故人)が主演で日本テレビ系でドラマ化されてました。DVDに録画して持ってます。唐沢寿明さんが龍馬さんを演じてました。

横須賀は幕府の西洋式軍隊の産物とおっしゃってましたが、「ヴェルニー公園」というフランス人の名前が付いた公園があるのも、そのことに関係があるのでしょうか?

会津と日本海軍って、なんとなく似てるなと思ってます。
中堅クラスの将校は航空戦力の重要性を認識し、航空戦力充実を具申するも、大艦巨砲主義に凝り固まった海軍上層部はこれを一蹴、会津も松平容保のお供をして京都に上っていた若手の藩士は薩長の連中が最新鋭の武器を調達してるのを見て、会津も装備一新を国元に具申するも「ならぬものはならぬ!会津には槍があるじゃないか」と国元の上層部に一蹴され、新政府軍に遅れをとってしまった。
夜桜お八
2020年08月13日 17:37
坂の上の蜘蛛さま
 その通りです。フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーが助言・主導し、勘定奉行・小栗上野介忠順(ただまさ)らが将来の軍港に選定したのが横須賀でした。最初は横須賀製鉄所、やがて横須賀造船所と名を変え、明治末期に横須賀海軍工廠へ発展。だから横須賀は徳川幕府が作り、明治政府が育てた街。

 横須賀で生まれた代表艦は戦艦「陸奥」、空母「翔鶴」。横須賀生まれの最大艦は「信濃」ですが、残念ながら戦艦としても空母としても未完成という絵に描いたような不幸艦。でも一応カウントします。

 むしろ重要なのは、海軍航空技術廠(空技廠)と横須賀航空隊。海軍航空揺籃の地でした。茨城県霞ケ浦にあった予科練(海軍飛行予科練習生)も、最初は横須賀にあったんです。

 今も我が家の上空を飛行機が飛ぶ。羽田を離陸した便です。かなり高度がありますが、尾翼が赤なら日本航空(JAL),青なら全日空(ANA)とすぐ分かる。

 今の横須賀に徳川幕府を偲ぶものは殆どなく、せいぜい小栗上野介の胸像くらいだと思いますが、その功績は忘れてならないと思います。

 
2020年08月13日 19:38
坂の上の蜘蛛さん、こんばんは。
会津若松城、、、「八重の桜」で綾瀬はるかさんが勇ましくスペンサー銃を構えて戦ってるシーンが思い浮かびます。
劇中では城壁を突き破って転がってきた砲弾を布で包んで鎮火するような事やってましたけど、もうここまで来ると敵の弾でも使えって事ですね。もちろん失敗すると爆死ですけどね(笑)。
2020年08月13日 20:30
夜桜お八さんへ、横須賀は徳川幕府が作り、明治政府が育てた街ですか。そのことを念頭に置いて、改めて横須賀の街を訪ねてみたいと思います。
信濃は空母としても、戦艦としても幻に終わった艦ですが、今でもプラモでは立派に残ってますよね。

「予科練は最初は横須賀にあった!」初めて聞きました。軍歌でも「今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ♪」と言う歌詞があるもので、最初から霞ヶ浦にあったと思ってました。
2020年08月13日 20:37
とある星人さん、コメント&気持玉ありがとうございます。
8日間で8000発の砲弾、単純に見て、1日1000発ですよね。まさに、昼も夜も関係なく砲撃され続けたと感じですね。

私は山本八重子と言えば、日テレ系正月時代劇『白虎隊』でスーちゃん(田中好子さん)が演じた山本八重子が印象深いですね。
夜桜お八
2020年08月13日 21:44
坂の上の蜘蛛さま
 予科練の選抜試験は難しかったんです。最初は高等小学校卒業者を選抜したのですが(いわゆる乙種予科練習生 乙飛)、昭和十年代になると受験には中学四年生修了程度の学力が必要となります(甲種予科練習生 甲飛)。
 これは超難関の海軍兵学校(海兵)と同じ基準。

 しかし予科練に限らず、海軍は航空関係者を冷遇し続けました。「海兵卒以外は人間に非ず」という極端な学歴差別は、とうとう最後まで治らずじまい。いや、それよりも上層部の頭が大艦巨砲主義でコチコチだったことが根本原因かな・・。

 難しい試験をクリアして甲飛になった若者たちも、最下級の四等水兵と同じ待遇。映画『零戦燃ゆ』を覚えておいででしょうか。堤大二郎さん演じる主人公があまりの低待遇に憤慨し脱走を図るシーンから始まりますが、現実はもっと凄くて、彼らのサボタージュ(抗命)事件まで起こっている。

 主人公の脱走を止めた上官、加山雄三氏演じる下川万兵衛大尉は実在の人物で、横須賀航空隊で行われた零戦試作機のテスト飛行中、空中分解事故で殉職しています(映画にもシーンがあったはず)。無塗装(ジュラルミン剥き出し)の零戦を主人公らに見せ、脱走を思い止まらせたシーンの舞台は横須賀でした。

 鉄砲屋(砲術)・水雷屋・航海屋が主役だった海軍にとって、航空関係者は異端分子だったんですね。「こいつらにやがて主役を奪われる」という恐怖があったのでしょう。

 案の定、戦争の主役を担い、最もよく戦い、かつ一番犠牲が大きかったのは、彼ら予科練(甲飛・乙飛その他)出身の青少年たちでした。海兵出身の搭乗員たちより、彼ら予科練出身者の方が経験値は上だったかもしれません。

 もっとも、搭乗員の大量養成は当時の日本の国力では無理でした。民間航空が異常に進歩発達していたアメリカ相手では、逆立ちにしても敵わなかったと思う。
2020年08月13日 22:08
坂の上の蜘蛛さん、こんばんは。
黒天守の会津若松城、想像図だとしても凄く迫力がありますね。
2020年08月14日 09:54
夜桜お八さんへ、映画『零戦燃ゆ』で主人公の脱走を止めた上官、加山雄三さん演じる下川万兵衛大尉が無塗装(ジュラルミン剥き出し)の零戦を主人公らに見せ、脱走を思い止まらせたシーン。
もちろん、憶えてます。こういうセリフでしたよね。「この飛行機は1機6万円だ!お前たち中卒の連中が一生働きづめに働いて、やっとこれが1機買えるわけだな!しかし、お前たちが2年間ここで辛抱すれば、コイツの新品を1機、国がただでくれるのだ!どうだ!欲しくないか!」だったかな?

映画『アルキメデスの大戦』では、三段空母の赤城から複葉機がヨタヨタ発艦するシーンがありましたが、あれを見れば、航空戦力が海軍の主力になるという先見の明を持った人は少なかったんじゃないでしょうか?
2020年08月14日 10:00
日々散財さん、コメントありがとうございます。会津若松城はいつ頃まで黒天守だったんだろう?と想像してみました。
少なくとも、蒲生氏郷や加藤嘉明は豊臣恩顧ですから、黒天守の会津若松城だったと思います。
やはり、今の白天守に改修したのは、家光の弟、保科正之だったんじゃないかな?と思ってます。
坂の上の蜘蛛
2020年08月14日 15:12
ぽこぽこさんのブログ拝見しました。渋谷の国立新美術館の『MANGA都市TOKYO』展に行かれてたようです。
全国のマンガ、アニメ、ゲーム、特撮の図書館とミュージアムの場所が描かれた日本地図の写真がありました。四国でそういう施設があるのは高知だけなんですね。
でも、はっきり言って、高知のそういう施設は『海洋堂ホビー館』以外はどれもショボい(笑)
夜桜お八
2020年08月14日 20:50
 俳優・渡哲也氏逝去。ご冥福をお祈り申し上げます。

 『西部警察』の大門団長のインパクト大。戦争映画ですと『男たちの大和』の伊藤整一中将。NHK『坂の上の雲』の東郷平八郎大将。大河では織田信長役も演じられました(『秀吉』でしたっけ?)。

 海軍の主力戦闘機は九〇式→九六式→十二試(零式)→十七試(烈風)と変遷しますが、ヨタヨタ複葉機の九〇式のたった六年後に、全金属製・単葉・固定脚の九六式戦闘機が制式採用。そして、その四年後には全金属製・単葉・引込脚の零戦が制式採用。
 凄いスピードの進化ぶりに息を呑みます。
 
 飛行機がこれだけ大型化・高速化してしまうと三段飛行甲板など全く役に立たず、完全に企画倒れに。まず「加賀」が先に全通飛行甲板化。「赤城」も昭和十三年には全通飛行甲板化。

 当然、欧米機もどんどん進化していますので、基礎工業力の格差が戦争の勝敗を分けた。それでも日本の技術陣は国力の制約下で善戦したと思う。
2020年08月14日 22:09
夜桜お八さんへ、渡哲也さんが亡くなられましたか。残念です。慎んでご冥福をお祈りいたします。
渡哲也さんと言えば、おっしゃる通り『西部警察』ですよね。毎回、ドラマのラストシーンに登場する大門団長専用のカスタム車がかっこよかったです。

『西部警察』では舘ひろしさんが若手の刑事役で出演されてましたが、その舘さんも『アルキメデス大戦』では山本五十六役、これから渡さんが演じてきたような役は舘さんが演じていくんでしょうね。
2020年08月15日 09:59
ぽこぽこさんのブログ拝見しました。福生市中央図書館の郷土資料室に陸軍の隼に搭載されていた二式固定機関砲を見学に行っていたようです。
ブログの冒頭で図書館の入り口を行き過ぎてしまうというドライブ「あるある」をやらかしてましたが(笑)

劇場版『荒野のコトブキ飛行隊』、四国では徳島しか上映館がないんだよなぁ~それに、4DX上映だし、4DX嫌いなんですよ。
徳島に行くなら岡山が近いんだよなぁ~瀬戸大橋、料金が高いけど。
瀬戸大橋超えるなら、いっそ『アースシネマ姫路』まで行っちゃおうかな?竹田城も見学したいし。
夜桜お八
2020年08月15日 15:21
各位殿
 凄い暑さです。お身体くれぐれもご自愛ください。屋内でも熱中症の危険は十二分にあるそうです。エアコン必須の恐ろしい時代になりました。

 ぽこぽこさまのブログに登場する国立新美術館。ここは戦前、陸軍歩兵第三聯隊(麻布聯隊)でした。戦後は東大生産技術研究所。鉄筋コンクリートの近代的兵舎は世間の話題をさらったそうですが、同研究所が移転したとき惜しくも取り壊されました。
 しかし、その一部が残っていて記念館として公開されています。

 旧防衛庁跡地、現在の東京ミッドタウンがすぐ近くなのですが、こちらは陸軍歩兵第一聯隊(赤坂聯隊)跡。麻布聯隊と並ぶ二・二六事件蹶起部隊の原隊。青年将校たちが密議した西洋料理店「龍土軒」も場所こそ西麻布へ移転しましたが、現存します。

 地下に埋まっている戦争遺跡・遺物は多く、横須賀にも「在日米軍用地内に凄いものが埋まっているらしい」という「都市伝説」があります。終戦時に兵器を処分する際、大きなものは地面に埋めるしかなかったという実話もあります。現実に、私はかつて九七式中戦車(チハ)を掘り出した人と面識がありました。

 軍の機密文書類も基本的には焼却されましたが、中にはこっそり家に持ち帰って庭に埋めたとか、ロッカーごと地中に埋めてしまったというケースもあった。

 海軍省の機密文書が地中に埋められ、戦後、防空壕を壊す(埋める)作業をしようと重機で掘り返した時に発見されたという話があります。
 しかも東京のど真ん中・霞が関で。
 
 警視庁の遺失物係から防衛庁(当時)に電話があって、真っ赤に⒮ばいたロッカーを防衛庁が引き取って扉を開いたら、軍機(最高機密)レベルの文書が山のように出てきたという、嘘のような本当の話。

 正に「事実は小説より奇なり」。
ぽこぽこ
2020年08月15日 20:01
坂の上の蜘蛛さま、夜桜お八さま
私のブログにお越し頂きましてありがとうございます。

>渋谷の国立新美術館の『MANGA都市TOKYO』展に
ブログに紛らわしい書き方をしてしまったかしら?
地下鉄に乗り換えたのが渋谷で、住所的には国立新美術館があるのは六本木ですよ。
で、最寄りの駅が東京メトロの千代田線の乃木坂です。
と偉そうに言うものの、田舎者の私はいつもスマホのナビ任せです。(笑)

>ドライブ「あるある」をやらかしてましたが(笑)
いつもなら事前にgoogleマップのストリートビューで現地を確認するのですが、この日は横着していきなり出発してしまいました。結果は斯くの如しです。
自分で勝手に白地に黒で「福生市中央図書館」ってデカデカとした看板を思い描いていて、それが全然見当たらなくて・・・(笑)

>その一部が残っていて記念館として公開されています。
こちらの建物(国立新美術館の別館)ですね。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%BA%BB%E5%B8%83%E6%AD%A9%E5%85%B5%E7%AC%AC%E4%B8%89%E9%80%A3%E9%9A%8A+%E5%85%B5%E8%88%8E%E8%B7%A1/@35.664319,139.726608,3a,75y,90t/data=!3m8!1e2!3m6!1sAF1QipOtbF5OIZCf7tyvhQ3ySL5fBWGhfdkW8oURljr9!2e10!3e12!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipOtbF5OIZCf7tyvhQ3ySL5fBWGhfdkW8oURljr9%3Dw203-h152-k-no!7i4032!8i3024!4m5!3m4!1s0x60188b7bde6e1109:0xe777807f47a7293e!8m2!3d35.6643189!4d139.7266082?hl=ja

国立新美術館建設に伴い、建物の大部分は解体・撤去されて、元の建物の隅の方だけを国立新美術館の別館として残したのですね。建物の説明によると建築構造やアールデコ調のデザインを取り入れた外壁などに建築上の歴史的価値があるのだとか。
私にはサッパリです。
2020年08月15日 20:14
夜桜お八さんへ、本当に暑いですね。水道をひねったら熱湯が出てきてびっくりでした。

東京や横須賀って掘れば、とんでもないものが出てきそうですよね。
呉や佐世保もなにか出てくるかも?
2020年08月15日 20:17
ぽこぽこさん、コメントありがとうございます。こちらこそ失礼いたしました。田舎者ゆえの勘違いでした。六本木だったんですね。
夜桜お八
2020年08月15日 22:43
追伸
 旧海軍省・軍令部防空壕跡から「出土」した赤錆びロッカーの中身は、主に海軍の軍備計画関係書類。大和型戦艦建造関係も含まれていたそうです。昭和三十年代初めごろ、すなわち東京が戦争の痛手からようやく回復し始めた頃の話。

 ちなみに、東京メトロ千代田線の霞ヶ関駅は、この海軍省・軍令部の旧防空壕をそのまま利用した地下空間です。

 戦争遺物が確実に埋まっていると分かっている場所に、羽田空港がある。ここは飛行機とその部品を大量に埋めた記録もあるし、現に発見もされています。「占領軍に接収され辱められるよりは、日本人の手で埋めよう」ということでしょう。

 横須賀も、山や谷に結構、兵器か弾薬が埋まっていそうな気がします。
 事柄の性質上、埋めた人は記録など残しませんから捜索は厄介そう。