コミック大人買い
昨日、高知市内のブックオフに寄ってみました。以前、ぽこぽこさんが『ろんぐらいだぁす!』の原作コミックを大人買いしてたのを思い出して、私も何か大人買いしてみようと思い、店を覗いてみると・・・
『ヤマノススメ』原作コミック18巻セット(原作は、まだ続いてるようですが)、価格は¥3000なり!今まで、アニメは全部見たんですが、マンガは読んだことがなかったので、前から興味がありました。
キャラクターたちの背景は本当の山の写真なんですね。1巻が「赤岳」、2巻が「剱岳」というように、18巻まで紹介されてます。日本の山ってこんなにあるんですね。まぁ~『日本百名山』なんて言われるくらいですから、18なんて序の口か!
ん?待てよ!確か徳島県にも「剣山」という名前の山がありましたよ。同じ「つるぎ」なのに字が違いますし、「岳」と「山」の違いもありますね。「「岳」と「山」どう違うんでしょう?気になります!」(氷菓の千反田える風に)。
以上、コミック大人買いでした。
この記事へのコメント
私は「来週の水曜日から本格稼働だ」と会社から通達がありました。見切り発車でもいいので仕事してくれと。まあ当然です。
『ヤマノススメ』コミック、そこまで進んでいたのか。これならアニメ第4期以降の素材に困ることは絶対ないでしょう。聖地巡礼マップ(飯能市発行)を引っ張り出してみました。近いうち飯能と秩父に1泊2日で行ってみるつもりです。もちろん機動力のあるクルマで。
後は劇場オープン、『プリ・プリ』鑑賞、『天気の子』BD到着、『ハイフリ』円盤発売が楽しみです。
自粛はもうたくさん!!
ドラマとか漫画とかで山を題材にした作品は、やっぱり2000~3000mクラスの山ばかりを取り上げてますけど、まぁ~これが百名山なのでポピュラーで分かり易いんでしょうけど、実際には二百名山、三百名山と選定された山は増えております(1000mクラスの山とかでも何かしら見所があったりする山とかが選定されております)。
プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんの「グレートトラバース」は今は三百名山やってました。この人は超人級なので、日本の端から端まで登山して完全踏破してますからねw
まぁ、それ以外でも私の地元だと「兵庫100名山」「宍粟50名山」などと、いわゆる〝おらが山〟は結構あります。
秩父は無理ですが、飯能の聖地めぐりくらいは9月にやりたいと思ってます。あおいちゃんとひなたちゃんが最初に登った『天覧山』くらいは登ってみたいですけど、時間あるかな?池袋で前泊する予定ですから、早朝から飯能に行くつもりでいますけどね。
山登りと言っても、レベルがありますよね。本格的な登山から『ヤマノススメ』に登場する「天覧山」のような手軽に散歩で楽しめる、いわゆる、市民の山と言われるハイキングコースの山までね。
四国で本格的な登山の山と言えば、徳島県の「剣山」と愛媛県の「石鎚山」でしょうね。たぶん、日本百名山に入ってるんじゃないでしょうか?
高知では兵庫のような「高知百名山」はないですね。せいぜい、県民の山『工石山』(くいしやま)くらいか(笑)
中学のころ、遠足で登りましたが、けっこう頂上まで時間がかかったのを憶えてます。
実は、このコミックのセット、ネットカフェに置いてあったものらしくて、ネットカフェの店印が捺してありました(笑)
もう何度も通ってます
連峰の中に白駒池という場所があるんですが、もう人外魔境の苔の森
ミニ屋久島といった風情で、木霊が普通に居そうです(笑
実は八ヶ岳の麓で暮らしたいなぁと妄想しております(笑
愛媛の「石鎚山」は意外と高くてびっくり!『ヤマノススメ』の表紙によると、近畿以西では、もっとも高い山だとか?(実は、鳥取の大山のほうが高いと思ってました。)クラシックYさんは登ったことがありますか?
『宇宙よりも遠い場所』は、何と群馬県館林市が舞台だった。茂林寺(もりんじ)まで登場してビックリ。ぶんぶく茶釜で有名な曹洞宗のお寺。茂林寺前駅まで出てきた(笑)。
館林は日本一暑いことで有名ですが、のちの五代将軍・徳川綱吉が藩主だった城下町。ただし綱吉は一回も来たことはなかったようです。そしてマレー作戦で有名を馳せた島田豊作中佐の出身地。『ガルパン』の島田愛里寿(島田流)は、島田戦車隊のパロディー。戦後は館林に戻って高校の先生をされました。
砕氷艦「しらせ」の海自公式PR動画。
https://www.youtube.com/watch?v=oGJkAvYeyfU
最後は秩父でした。秩父三部作。超平和バスターズの龍勢(農民ロケット)。
なんだか、とってもタイムリー。
実は、今日は禁を犯して飯能に来ちゃってます。(笑)
ヤマノススメのセカンドシーズンで、ここなちゃんが誕生日のプレゼントの登山靴を見つけて、その靴の試し履きに出掛けたコースを歩いてみようと言う趣向です。
原作には歩いたルートとかちゃんと書いてあるんでしょうか?
今日は、ちゃんとここなちゃんと同じルートを歩くため、
朝8:00に飯能駅前を出発して、スタート地点の飯能中央公園の木製の砦のような遊具の所まで行って、そこから歩き始たんですよ。
そして今ちょうどトーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園に着いた所です。
前回来たときは公園内の建物に入れなかっただけですが、今回は公園そのものが閉園となっていて、公園前の駐車場も人っ子一人いません。
今日の飯能は暑い!暑い!
多分25℃を越えているんでは無いでしょうか。
入間川では川に入って泳いでいる子ども達がいましたよ。
なんだか、片道だけで体力使い果たしてしまった感じです。
ちゃんとクルマの所まで帰れるんだろうか私。(笑)
『宇宙よりも遠い場所』、私は傑作アニメだと思ってます。
館山が舞台たったとは気づきませんでしたが、どうして、昭和基地の場所があそこになったかは、このアニメで知りました。これは、日本が敗戦国なるがゆえなんですよね。
でも、そのおかげで日本は世界一の砕氷船を作り上げた。
『しらせ』乗員は自衛官のようですが、南極観測隊員が必ずしも自衛官じゃないんでしょうか?
島田中佐の戦車隊は山下大将の陸軍第10軍の部隊だと聞いてます。
ただ今、『ヤマノススメ』は第3巻まで読破しましたが、ここなちゃんの新しい登山靴のエピソードは、まだ出てきてませんね。
もう川で泳いでる子供たちがいましたか!元気なものですね。飯能河原あたりですか?
朝8:00ですか!私もそれくらいの時間から『ヤマノススメ』聖地めぐりをしたいと思ってますよ。池袋駅から飯能駅まで1時間だと聞いてますので。
ここで遅めのお昼です。
日高屋のラーメンを食べたら、すずきのバームクーヘンを買って今日は、おしまいです。
辞書で調べた訳じゃないですが、「岳」だと「山」より険しい印象があるのは私だけ?
飯能河原を通った頃は、まだ気温が上がってませんでしたから、さすがに泳いでいる人はいませんでした。
前回来た時は台風の爪痕も痛々しく、進入禁止で河原に降りる事はできませんでしたが、今回は河原に降りる事ができましたよ。
飯能河原、立ち入り禁止だったと聞いてましたが、河原まで行けるようになったんですね。
私も「岳」は岩山で立山連峰のような、峰がいくつか連なってる山というイメージで、「山」は富士山や鳥取の大山のような、単独でそびえている山というイメージでしたが、調べてみると、おおむね、そんな感じだったんですが、例外も多いので、「岳」と「山」の明確な区別はないそうですよ。
「しらせ」には自衛官の他、南極観測に行く研究者も乗艦しています。搭載のヘリ(通称カラス)は千葉県館山航空基地所属。なお『世界よりも遠い』の舞台は館山ではなく、群馬県館林。
島田中佐は第二十五軍(山下奉文中将)麾下の戦車第六聯隊第四中隊長です。回想録に、島田豊作『マレー戦車隊』(河出書房)がありますのでお読みくださいと言いたいのですが、古本ですからアマゾンかな?図書館にはなかなかないのではと思います。東京・神保町の古書店街なら大丈夫かもしれませんが・・・・。
実は、館林には仕事で何回かお邪魔しています。あの辺は大手食品メーカーが工場と倉庫を建てています。災害時、関東一円に食品を補給するため。お城が殆ど残っていないのが残念。
あと思いつくのは、上皇后さまのご実家(正田家)が館林であることと、うどんが名物であること。
近くには足利市(足利学校跡)、佐野市(佐野厄除大師と佐野ラーメン)もあります。共に栃木県ですが。
山下中将の生家は高知県大豊町(大杉が有名で、美空ひばりさんの記念碑もある町)だと思ってましたが、実は、高知県香北町(アンパンマンの原作者やなせたかしさんもここの出身でアンパンマンミュージアムもある)に生家があるんですね。
グーグルマップで検索してみましたから、今度行ってみたいと思います。「山下奉文生家」という碑があるらしいです。
そうです
「八ヶ岳」はその巨大山塊の言わば総称で、実際に八つの岳で構成されているわけではありません
「八」を使うのは、八百八橋や八百万と同じく「それほどに多い」という意味だと思います
実際、八ヶ岳の山容はケタ違いに大きく、とてつもない雄大さです(一度、地図アプリでご確認下さい
ちなみに八ヶ岳連峰と呼んだりもします(笑
「岳」と「峰」の話がありましたが、岳は山体中のピーク(山頂や尖ったところ)を指し、峰は尾根筋の中の明らかなピークを指す…と思って頂ければ良いと思います
まぁ結構、適当に使われていますが(笑
八ヶ岳は本当に素晴らしい連峰で、山そのものの魅力はもちろん、その周辺には多くの見どころがあります
馬で有名な小淵沢、本邦最高位を走るJR小海線、一大高原リゾートブームを巻き起こした清里、野辺山の天文宇宙施設、甲州武田信玄ゆかりの史跡、柳生博さんの素敵なカフェと雑木林、美味しいレタス(笑…キリがありません
八ヶ岳南麓には高原リゾートホテルや洒落たペンションが数多く、宿泊にも困りません
余談ですが…大河ドラマ「武田信玄」の時に建てられた武田館のオープンセットが現存し、今も撮影に使われています(ちなみに今回の「麒麟がくる」でも何度も登場してます
で切り開いた空地があり、そこでは合戦シーンが撮影されてます
映像作品にも結構登場してるんですが、中でも全編八ヶ岳ロケで製作された映画「西の魔女が死んだ」が有名どころでしょうか
同名の児童文学が原作のなかなかいい映画です
こんな感じです
https://m.youtube.com/watch?v=Rri_ToGL-IA
ついでに白駒池も
https://www.tateshinachuoukougen.com/sirakomaike-kokenomori
石鎚山、行ったことがあります
四国にこんな高くて険しい山があったのかと驚きました
と言っても登山したわけではなく、車で通ったんです
確か二月で途中で積雪の為に、ドライバーがタイヤチェーンを巻くハメに(苦笑
四国山地も結構凄いですよね
地元の山と言えば「六甲山」「摩耶山」が真っ先に思い浮かぶかな。
北八の白駒池は私も風景写真を撮りに何度か行った事がありますよ。
大きな苔むした岩がゴロゴロしていて、その間を細い木道が通っているんですよね。
最近はご無沙汰してしまってますが、また行ってみたいです。
神奈川県の有名な山は、箱根連山と丹沢山塊だけ。前者は重巡洋艦の名前にもなった足柄山を含む一連の山々で、箱根山という名の山はありません。丹沢山塊では、大山阿夫利神社のある大山が有名。神社へはケーブルカーで登れます。
私の住む横須賀市にも衣笠山(これも重巡の名になったが、異説あり)というのがありますが、標高は低い。
鎌倉は東西北の三方を山に囲まれ、南は海という要害の地ですが、山の稜線を歩くコースがいい。鎌倉アルプスという些か滑稽な名もついていますが、運動量は結構あります。
蛇足。
東京都にも山がありまして、『ヤマノススメ』にも登場した高尾山、そして御岳山が代表選手。東京都も八王子から西は山あり渓谷ありで、釣りやキャンプも出来ます。ついでに言うと鍾乳洞(日原鍾乳洞)、ダム湖(奥多摩湖)もあるんですよ。
石鎚山は、登山というより修験者の修行の山というイメージが強い山だと思いますね。
横須賀の「衣笠山」、『ハイフリ』にも登場しましたので、知ってますよ。公園があるんですよね。飯能の「天覧山」みたいな感じのハイキングの山というイメージですが?
箱根山は、巨大な二重式火山です。芦ノ湖は外輪山の内側。外輪山を成す山々が三国山、明神ヶ岳、金時山などです。足柄山というのは金時山を含めた足柄峠周辺の総称で、正確には足柄山と言う独立峰はない。八ヶ岳という独立峰が無いのと一緒です。ややこしい。
温泉天国の箱根は、乗り物天国でもある。登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェー、遊覧船(芦ノ湖)と豊富。勿論バスでも上り下りできます。あまり知られていないのが箱根駒ケ岳(外輪山の内側に噴火してできた山)ロープウェー。
神戸の摩耶山は、お釈迦様の母上(摩耶)に因む名です。
ポール・アレンのチームが発見したフィリピン・パラワン沖に眠る重巡洋艦「摩耶」の映像を貼ります。女性アナが専門用語(重巡洋艦)をよく理解しない様子が分かって、笑える(藁)。
https://www.youtube.com/watch?v=2jDT_b_wPxw
艦首部分が千切れて上下反転しているそうですが、残りの艦体は甲板を上にしてキレイに着底しています。高雄型重巡の艦橋構造物の巨大さが分かる、貴重な映像。
私が思いつくロープウェーというと、松山城のロープウェーと尾道のロープウェーです。
重巡洋艦「摩耶」のニュースを伝える女子アナ、「じゅうじゅんようかん」ではなく、「じゅうじゅうようかん」に聞こえますが、私の耳が悪いのか?
確かに(笑)。じゅうじゅう羊羹に聞こえます。私は羊羹よりケーキが好き。甘党で洋菓子派なんです。だから飯能巡礼では「夢彩菓すずき」さんのケーキとバームクーヘンを狙います。
巡洋艦 cruiser を重軽に分けたのは、昭和5年のロンドン海軍条約。具体的には排水量1万トン、主砲8インチのラインを境に重い軽いを分けたのが発端。
日本海軍とりわけ軍令部は、この1万トン級巡洋艦を対米7割獲得したいと必死になり、その主張が通らなかった結果「軍令部の同意なしで条約に調印した濱口内閣は天皇陛下の統帥権を犯し奉った」と主張し出した。
いわゆる「統帥権干犯問題」です。国論二分の大騒ぎになった結果、濱口首相は東京駅でズドン(その傷が元で死去)。
しかし、それほどの大騒ぎまで起こした重巡洋艦は、海軍の大きな期待にもかかわらず、現実の戦争では呆気ないくらい簡単に沈められた。大東亜戦争で一番活躍し、かつ犠牲が大きかったのは駆逐艦。
戦争は、蓋を開けないと分からない。
でも日本の巡洋艦は世界一、スタイルが美しいと思う。格好いいのです。「摩耶」など、遠目には戦艦かと思うほど重厚な姿。だから海底の彼女が原形を保っているのを見て、正直、嬉しかったです。
さて、浜口首相暗殺の原因になった、海軍軍令部の言い分ですが、自分たちの主張が通らなかったからと言って、「天皇陛下の統帥権を犯し奉っている」とは、軍令部の逆ギレのような印象ですね。自分たちの主張と陛下の統帥権を完全に混同してる。
お久しゅう、ご壮健何よりです
そうでしたか、時を忘れてファインダーを覗く感じでした?(笑
僕も行った時には、その光景と空気に圧倒されました
一体どれ程の時間と命の積み重ねが、この神聖な場所を造ったのだろうと
これは人が決して汚してはならない神の森だと思いました
自分の悩みなど、なんとちっぽけ。。この苔たちや木々の様に生命を全力で楽しまないと勿体無くて、申し訳ないぞとも(笑
で、あの木道が良いんですよね、森を傷つけない様にかさ上げした木道…
関西の山では、まず見る事はありません
絶対に取り入れるべきだと思ってます(笑
また訪れたいです白駒池(遠いけど 苦笑
夜桜お八様
僕は府中と調布で暮らした時期があるんですが、京王線沿線住民だったのに高尾山には行きそびれてるんです(心残り。。
関東平野は広さで言えば、大阪平野の何倍も広い
しかし川の堆積物で平らに出来上がった大阪平野は、孤島の様にポツンとある上町台地以外は綺麗に平べったい
対して東京なら23区内でも山あり谷あり(渋谷、赤坂、等々力渓谷…
ここが面白いところですね(リアルブラタモリ 笑
坂の上の蜘蛛様
凄いんですよ、白駒池
泊まった甲斐小泉のペンションのオーナーさんに、レンタカーのドライブ圏内でいい所ありますか?と聞いたところ「ならば是非に」と紹介してくれたのでした
「地元でジブリの森、もののけの森と呼ばれてる、まるで屋久島みたいに凄いとこですよ」と言う話でしたが、正直ちょっと「盛ってる」やろ(笑)と半信半疑でした
ところが…行ってみてビックリしたのなんの
本当にミニ屋久島でした(笑
正に神聖な神々の森…
そう!正にそれ!修験の山ですね、石鎚山
修験者が修行するイメージにピッタリの山です
アルプスやヒマラヤにある様な雄大で巨大な独立峰も素晴らしいですが、岳や峰々が連なる山塊が密集する日本の山々も素晴らしいです
正に唯一無二
そもそも条約締結は政府(内閣)の決定事項。帝国憲法では「天皇大権の輔弼(ほひつ)」と言いますけれど、難しい話はともかく、軍令部の意見は聞くけれど最終決定権は政府(内閣)にあるということです。
軍令部の主張は、濱口内閣がロンドン条約を結んだことは、帝国憲法第11条(統帥大権)、第12条(編成及び常備兵額)の定める天皇大権を犯し奉った、というものですが、明治時代にはあり得なかった屁理屈。
海軍が真っ二つになりました。いわゆる艦隊派と条約派。濱口内閣に協力した条約派の軍人は、数年後にまとめて海軍から追放。
対米戦争への伏線です。しかも悪いことに、濱口内閣(民政党)を叩こうと、野党政友会が海軍強硬派の主張に悪乗りした。政友会総裁は犬養毅、幹事長は鳩山一郎。その犬養は2年後、5・15事件で海軍の若手士官に殺されましたからね。
皮肉と言うべきか、因果応報と言うべきか。
クラシックYさま
調布・府中は、まず深大寺(そばで有名)、国立天文台、多磨霊園、大國魂神社、東京競馬場。都心に近いし、京王線沿線で中央道のインター(調布、国立府中)もある。一番住みやすい所じゃないですか。天気が良ければ富士山も見えますし。
鳩山一郎さんというとのちに総理になった人ですよね。孫も総理になったけど、頭がパーな人だった(笑)
坂の上の蜘蛛さま
濱口内閣のロンドン条約調印に法的問題は全くないと思います。
ただ「軍令部(作戦用兵の最高責任を負う)の主張にも一理ある」ことは認めざるを得ない。軍令部長は加藤寛治大将でしたが、いざという時に負けないだけの強い部隊を編成・訓練する責任がある以上、「対米7割に満たない兵力では国防の責任が果たせない」という不安があったのです。
まして日本海軍は、ワシントン会議(条約)で主力艦=戦艦の保有量を対米6割に抑えられている。せっかく進水した戦艦「土佐」は沈没処分を余儀なくされました。
いや、それ以上に、軍縮のせいでリストラされた軍人や工員が大勢いたのです(ここが重要)。海軍全体にストレスが溜まりまくっていた。いわゆる「比率ノイローゼ」という奴。
ロンドン条約当時、まだ存命だった東郷平八郎元帥も軍令部の主張を支持している。そのことが尾を引いて、条約派の一部軍人たちに「東郷嫌い」が生まれたわけです。
戦争に勝った東郷平八郎をディスり、負けた山本五十六を美化する風潮も、この辺に源がありそう。
とにかくロンドン条約問題は、濱口雄幸首相の命を奪っただけでなく、日本の政治に大きな傷跡を残しました。
作られたのは三菱長崎造船所、廃艦を決定した時の内閣は高知出身の浜口雄幸内閣、三菱と浜口首相、ともに高知に縁が深いですよね。
ところで、東郷長官と言えば、横須賀の記念艦「三笠」は開艦しましたか?
HPで見たら、記念艦「三笠」は6月30日まで閉艦予定だそうです。
明日5月27日は第115回海軍記念日。例年なら来賓を迎え、盛大に「日本海海戦記念式典」が挙行されるのですが、今年は当然中止。仕方ないですね。
東郷元帥が亡くなったのは、昭和9年5月30日。
同じ年の12月、日本はワシントン条約の廃棄をアメリカに通告し、昭和11年一杯で条約は失効。従って、昭和12年1月1日以降を「無条約時代」と呼びます。
軍令部が「46サンチ主砲を持つ戦艦の研究」を艦政本部に依頼したのが、昭和9年。呉海軍工廠で一号艦(大和)が起工されたのが昭和12年11月。大和型戦艦は、言ってみれば「ワシントン・ロンドン条約で劣勢比率を押し付けられたこと」に対する、日本海軍の怨念から生まれたわけです。
当時としては当然の選択です。海軍航空は未熟で、布張り複葉機が主役でしたし、欧米の模倣をしていた国産機はヨタヨタで事故ばかり起こしていた。
まさか、航空機があれほどの進歩発達を遂げてしまうとは、大多数の人が思わなかった。無抜いていた人は超少数派で、しかも若手士官。海軍部内では「生意気な奴」「気違い扱い」を受けていました。
明日は仕事で都心に出ます。
随分慎重ですね。
映画『アルキメデスの大戦』でも三段空母の「赤城」から複葉機がヨタヨタ飛んで行くシーンがありましたが、あれを見れば、飛行機が海軍の戦力になるとは、とても思えないでしょうね。
海軍で「これからは航空機の時代、大艦巨砲は無用の長物になる」と見通していた人は、佐官クラスの中堅。代表的な人を挙げれば当時大佐の大西瀧治郎、少佐だった源田実でしょう。源田実氏は有名なのでご存じだと思いますが、戦後は航空幕僚長、衆議院議員(自民党)を務めた人です。
「大和」研究家で有名な原勝洋氏が、源田氏に『日米全調査 戦艦大和』を献本に行ったところ、氏は「大和は嫌いなんだ!」と一言だけ。
けんもほろろの態度だったそうです。
戦闘機至上主義者で「源田サーカス」と仇名された彼にとって、巨大戦艦の建造など愚行そのものだった。「世界三大馬鹿はピラミッド、万里の長城、大和」だというのが持論。
確かに、現実の戦争は彼の見通しが正しかったことを証明しました。大艦巨砲に全く出番はなかったし、戦闘機の優劣が戦争の勝敗を分けたようなものです。アメリカが最新のエレクトロニクス技術を投入し始めたら、文字通り、手も足も出なくなった。
しかし、それは結果論。
世界の海軍国は全て、新鋭巨大戦艦を建造しています。むしろ、世界で最初に戦艦建造を止めたのは日本海軍。おカネもなかったし、戦争が航空戦になってしまったのを見て、さっさと「信濃」建造を中止しましたからね。
結局「武蔵」が日本海軍の建造した最後の戦艦になった。
源田実氏はミッドウェー海戦の大失敗に大きな責任を負うべき人なんですけれどね・・・。戦後なぜかカリスマ参謀扱いされ、航空幕僚長になったり国会議員に成ったり。不可解なことです。
聯合艦隊司令長官でありながら、空母機動部隊の南雲中将と膝を突き合わせて作戦の意図を伝えてなかったのは、作戦の責任者としては大いに疑問がありますよ。
府中で、西の山の稜線の上にぴょこんと富士山が顔を出してるのを初めて見た時には興奮しましたね(笑
「富士山や! これから毎日見れる!」と大喜び(関西人あるある 笑
深大寺や御國魂神社…関東の神社仏閣は関西人の目から見ると凄くガシッとした男性的な印象を受けるんですよ
やはりこれは質実剛健の武家文化の影響でしょうか
近畿のそれは皇族、公家、貴族文化…なのかな
坂の上の蜘蛛様
大阪や高知からは遠いですが、ぜひ一度八ヶ岳や白駒池を訪ねてみて下さい
山好き、自然好きならば、もう帰りたくなくなる程魅力あるエリアです
山本五十六長官は帝国海軍連合艦隊という実戦部隊のトップとしては、ほとんど何も成功していない様に思えます
確かに世界初の空母機動部隊の編成という点では、間違いなく先見の明ありですが、実際のその運用や戦果を冷静に評価すると「いや、もっともっと出来ただろう」と言うのが率直な印象です
南雲氏や源田氏も責任重大ですが、その部下を統率して戦闘に勝つのが司令長官の務めの筈
その将兵の統率がしっかり出来ていないところが、小さな勝利と目を覆う大敗を得た元凶だと思います
ハワイの中途半端、ミッドウェーの支離滅裂を…
湿度が高い日になるそうです。毎年鬱陶しいと嫌われる湿度(蒸し蒸し)が、コロナウィルスを殲滅してくれる最強兵器になりますように。
職業軍人の使命は、有事の際、戦争に勝つことです。だから、どんな秀才で人格が優れた人でも、戦争に負けた職業軍人には文字通り「一文の価値」もない。冷酷な言い方だが、それは厳然たる事実。
山本五十六や井上成美を持ち上げる戦後日本の風潮は狂っている。
理由はカンタン、彼らは敗軍の将だからですよ。「井上成美は教育者として立派だった」と弁護する旧海軍OBが多かったが、冗談ではない。彼は海軍部内でさえ「戦ベタ」と言われた人で、自分もそれを認めていた。
ハワイ攻撃とミッドウェーに共通する発想は「主力艦=戦艦」というもの。本当に牢固として抜きがたい発想だった。山本以下聯合艦隊司令部も、軍令部も一緒。だから空母部隊の約600kmも後ろをノコノコついてきた。鈍足の戦艦部隊を「主力艦隊」と称して(!)。
「無力艦隊」の間違いだろ。
真珠湾も老朽戦艦をひっくり返しただけ。完全喪失は「アリゾナ」「オクラホマ」だけで、修理設備(工廠)も石油タンクも無傷のまま。
山本らは、ミッドウェーで負った大ケガの止血措置をするどころか、攻勢終末点(国力の限界)を遥かに超えるソロモン諸島で、こともあろうにアメリカ相手の航空大消耗戦を演じてしまった。
素人が見たって狂っている。
勝利した軍人に栄光を。東郷平八郎こそ名将。それが世界の共通認識であることを、日本人は知らねばならない。
栄えある海軍記念日に。
撃墜王として有名な坂井三郎氏は佐世保海兵団から軍歴を始めた人ですが、戦艦「霧島」(だったと思う)の主砲に砲手として配属された。最高の栄誉。しかし、坂井氏は飛行機乗りを志望。それを上官に申告したら、氏はそれこそボコボコに殴られたらしい。「生意気、不遜、バチ当たりな」と。
それが当時の海軍の空気だった。
搭乗員(飛行機乗り)は一朝一夕には育たない。適正者を長期間訓練して漸く一人前になる。彼らこそ海軍の主戦力だった筈なのに、海軍は飛行機を鉄砲玉扱いするような作戦を繰り返した。
熟練者は次々に死傷し、戦力はガタ落ち。坂井氏も右眼失明の重傷を負っている。海軍上層部にとって、搭乗員は完全な消耗品だったと評されても反論しようがないのでは。
ソロモン・ガダルカナルの航空戦くらい不可解かつ愚かな戦闘は、世界戦史にも稀です。アメリカが不思議がっている。「なぜこんなアホな戦い方をするんだ」と。
アメリカの物量を言い訳にする海軍OBは、恥を知るべきです。彼らが圧倒的物量にモノを言わせて日本海軍を押しまくったのは、昭和19年以降のこと。彼らは日本海軍のあまりの弱さに驚き、秋に予定していたマリアナ諸島侵攻を6月に繰り上げたくらい。逃げ回ってばかりいた日本海軍は、完全に敵に足元を見られ、舐められていた。もっと悪いことに暗号は破られダダ漏れ。彼我の実力差さえ満足に認識できていなかった海軍が、あ号作戦に失敗したのは当然。
最初から勝負にならなかったんです。
『さらばヤマト』で、西崎義展Pソックリのキャラ(おっさん)が「そうだ、我々にはまだヤマトがある」というシーンを覚えておられますか。
あれは戦争末期の海軍の立場のオマージュ、いや皮肉に見えてしまう。
大東亜戦争の実情は、我々が教えられたものとは全然違うのです。
暗号がダダ漏れは、少し状況は違うかも知れませんが、戦国時代の「長篠の合戦」を連想します。あれも、穴山信君が家康に内通していて、武田の作戦がダダ漏れだったと聞いてます。
その山本自身、暗号解読で待ち伏せされ「暗殺」されました(海軍甲事件)。次の聯合艦隊司令長官となった古賀峯一大将は、搭乗機が行方不明になり戦死認定。同行した福留参謀長の2番機は比島セブ島沖に不時着したが、ゲリラに最高機密書類(新Z作戦計画)を奪われるという、とんでもないミスを演じている(海軍乙事件)。
日本海軍の情報感覚・情報管理のお粗末には言葉もありません。運に見放されていたでは済まない。
昭和の海軍首脳部に、戦国武将の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らの情報能力が昭和の海軍にあったなら、と思ってしまいますね。
今でも甲州(山梨県)では、穴山信君(梅雪)は裏切者扱いです。そして穴山に輪をかけた最低最悪の裏切者は、小山田信茂。東へ落ち延びる武田勝頼一行の行く手をブロックし、自害させた。
織田信長は小山田一党の溥儀・裏切りを憎み、磔刑に処しています。
栄えある海軍記念日にちなみ、飯能巡礼の豆情報です。
飯能市に東郷公園(東郷元帥像)と乃木神社があることを知る人は、かなり少ないと思います。『ヤマノススメ』の聖地・飯能市街地からはかなり遠く、西武秩父線で秩父方面へ向かい、吾野(あがの)駅、ないし西吾野駅で下車。少し距離があるのが難点かもしれませんが、それこそ『ヤマノススメ』で、歩いてみるのもいいかもしれない。
今日の都心はまだ半分眠っていました。本格稼働は来週からでしょう。
「東吾野駅」は『ヤマノススメ』第3話「飯能にアルプス!?」であおいちゃんが降りた駅なので知ってましたが、「西吾野駅」という駅もあるんですね。
山本長官も「誰がそんな箔をオレに盛ったんだ? 対米戦でのオレは失敗だらけだよ。後悔する事ばかりだ」とあちらで苦虫を噛み潰しておられるかも。。
何者かが都合良く事実を改ざんしているわけですね
ところで、夜桜お八さんにお聞きします
対米戦開戦時、連合艦隊司令長官を誰が務めていれば、米海軍に最も痛撃を与えられたと思いますか?
これはあり得ない「if」ですから、実力主義や適性重視で(例えば開戦時、まだ佐官だった人物でも構いません
雑談のつもりで気楽に考えていただいて構いません
複数人やベスト3とかでも結構です(笑
ちなみに、僕にはそこまでの将官の知識はないので、例えば山口多聞ならば?とかで精一杯です(笑
本物の名将とは、夜桜お八さんのおっしゃる東郷長官や乃木軍司令の様な人達ですね
これからの子供達には、変なバイアスのかかっていない「ありのまま」の近現代史を学んで欲しいですね
詳しく記す紙幅(?)はないので、結論から書いてしまいます。
いざ戦争になるなら、やはり対米強硬派で、かつ軍令畑(指揮官)として定評のある人物。末次信正あたり。仰るように、機動部隊指揮官は絶対に山口多聞少将ですよ。
山本五十六は、聯合艦隊司令長官(あるいは実戦部隊の指揮官)としては完全なミスキャストだったと思います。彼の軍歴を見れば一目瞭然ですが、元々は軍政畑を歩んできた人です。
それに、山本司令部の人間関係は最悪だった。山本は参謀長の宇垣纒中将を露骨に遠ざけていて、「変人」で有名な黒島亀人参謀を重用していた。初期の作戦は殆ど、黒島の頭脳から出たものです。堅実な作戦とは対極にある、バクチのような投機的作戦。黒島もそうだが、これは完全に山本五十六という人のキャラ。
黒島は人間的に問題のある人物で、宇垣の日記『戦藻録』の一部を戦後、勝手に処分した疑惑が持たれています。これは既述の千早正隆氏がハッキリ指摘している。己に都合の悪い記述がある部分を、意図的に抹消したらしいのですよ。
戦後、海軍OBは組織を挙げて海軍弁護の戦史をせっせと作り上げた。何度も書いているように、その主犯は元海軍参謀たち、黒潮会(海軍省記者クラブ)出身の評論家・伊藤正徳、阿川弘之その他海軍出身の作家ら。
あれほど敵に負け続けた軍隊組織を、そこまで美化する理由が分からない。アメリカ側戦史を読めば日本海軍の戦歴が連戦連敗、それも大惨敗の連続だったことはカンタンに分かってしまうのに。
この十数年で、私も面識があった方も含め、元海軍さんが全員この世を去った。もういい加減、真実の戦史を書かないといけません。
アメリカを震え上がらせるほどよく戦ったのは、むしろ陸軍ですよ。
「大和型戦艦は世界一」とドヤ顔になるミリオタは多いが、日本陸軍の傑作兵器「擲弾筒」(てきだんとう グレネードランチャー)のことを言う人が殆どいないのは、何故でしょう?
海軍の捏造戦史に洗脳されているからです。「陸軍は悪、海軍は善」と。
もういい加減、真実の大東亜戦史を知らねばならない。
末次信正ですね…こちらでも調べてみます(確かこの人、Koeiのウォーゲームしてた時に一手の艦隊司令官として働いてもらっていた記憶が 笑
機動部隊はやはり山口多聞ですか
即断即決、勇猛果敢…空母航空戦にとって最も重要な事ですね
瞬殺するか、瞬殺されるか、犠牲を恐れず攻め抜けるか
彼の指揮下ならば、艦載機搭乗員も戦い甲斐があるでしょう
陸軍善戦の評価は全く同感です
制空権無き硫黄島ですら、あの善戦
シナなどに関わらずに、陸軍の全勢力を西太平洋、東南アジア方面に展開出来ていたら…米軍は、史実とはケタ違いの大出血を強いられていたでしょうね
丁寧なレス、ありがとうございました
海軍戦史を美化することは、裏返せば、そのまま陸軍に対する誹謗中傷でした。
対米英戦争(アメリカの言う太平洋戦争)は「海軍の、海軍による、海軍のための戦争」でした。戦後、米戦略爆撃調査団の尋問に米内光政大将(元総理)が明言しています。「私は(対米戦は)海軍の戦争だったと信じます」と。
ご存じのように帝国陸軍の仮想敵国はロシア=ソ連です。想定戦場は満州かシベリア。装備も訓練も、平原で遠中距離戦する前提で作られている。南方の島々での近接戦闘など想定外でした。
確かに重火力(野戦重砲以下の火砲、機甲戦力、航空機)は連合軍に比べ劣っていたが、歩兵装備は欧米に比してそんなに劣っていたとは思いません。パヨク以下が「時代遅れ」と貶す三八式歩兵銃。その理由は同銃が槓桿式(こうかん式)=ボルトアクション式(装填も排莢も手動)だからというのですが、議論になっていないです。
零点の答案、不合格。
実は世界各国の歩兵銃は槓桿式が主流。アメリカでさえ戦争初期はスプリングフィールド小銃(槓桿式)だった。赤軍(ソ連軍)歩兵に至っては、独ソ戦を通じて槓桿式小銃。
後はお国柄で様々だったが、日本陸軍には、先述の擲弾筒という強力兵器があった。これは戦場で米兵を恐怖させた代物です。最後の沖縄戦でも凄い威力を発揮したらしい。ハッキリ言っちゃいますが、大和型戦艦など比較にならないくらい大活躍した正真正銘の傑作兵器なのです。
世間に星の数ほどいるミリオタに心から言いたいです。「自分の目で見て自分の頭で考えよ」と。他人の作り上げた「神話」に寄りかかっていたら、永遠にオタクのままです。